タイにある難民キャンプを訪ねて①-カレン人
以前水質調査の為、タイの難民キャンプを訪ねた。タイにはミャンマーとの国境沿いに9カ所の難民キャンプが点在する。
タイの難民キャンプを記述するにあたって欠かせないのがカレン人。
なぜならタイの難民キャンプの内約90%がカレン人だからである。
彼らはどこから来たのか、なぜ難民になったのか。
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カレン人の概要
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カレン人の分布
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歴史概略
1. カレン人の概要
モンゴルや中国西南部から南下してきた人々がミャンマーのシャン州南部に住み着いたのが最初とされている。カレン人にはスゴー族、ポー族、女性が首を金のリングで装うカレンニー族など10以上の部族が存在する。タイ語ではกะเหรี่ยง(ガリアン)と呼ばれ、カレン・スゴー語ではပှၤကညီ(ヴァグニョ)と呼ぶ。
ミャンマーではビルマ族、シャン族(タイ・ヤイ族)に次いで3番目に多い民族。
カレン人の分布
総人口は約750万人。その内訳はミャンマーに約600万人、タイ国内に約100万人、そして国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が推進する第三国定住プログラムでさらに移民となった人々が世界各国に点在。
- アメリカ(約19万人)
- カナダ(約0.5万人)
- オーストラリア(約1.1万人)
- その他の国(約10万人)※
※日本も受け入れ国として協力しているが2012年11月時点でわずか45名。
歴史概略
年代 | 内容 |
1881年 | キリスト教カレンによってカレン民族協会(KNA)設立。 |
1886年 | ビルマはイギリスのインド領として併合。 |
1939-1945年
(第二次世界大戦時) |
日本軍の援助を受けるビルマ独立軍(BIA)vsイギリスの少数民族優遇政策による多くのイギリス軍内のカレン族。
BIAによるカレン族の村の襲撃、破壊、虐殺。 |
1947年 | カレン民族連合(KNU)※がカレン会議で結成。
※ビルマの反政府運動政治組織さらに軍事部門としてカレン民族解放軍(KNLA)。 ミャンマーの反政府武装組織としては最大規模。 KNLAは、解放区・コートレイ(Kawthoolei)を作り、ミャンマーとタイとの国境地域を実効支配。 コートレイの「首都」マナプロウは反政府勢力の拠点。 |
1948年 | ビルマがイギリスから独立。 |
1988年 | 軍事政権に対する反政府暴動。 |
1992年 | 軍事政権が多くの少数民族と停戦に合意。 |
1994年 | 仏教徒グループが民主カレン仏教徒軍(DKBA)を結成し軍事政権側へ離反。 |
1995年 | DKBAとミャンマー軍の攻撃を受けてマナプロウ陥落。 |
1998年 | 国連によってタイに2カ所の難民キャンプが設立。 |
2010年 | ミャンマー軍によるカレン人民族浄化。
DKBAとミャンマー軍の軍事衝突。マナプロウ奪還。 |
2012年 | 軍事政権との停戦に合意。 |
第二次世界大戦時にビルマ独立軍(BIA)を日本軍が援助したことで、ビルマにおける政府とカレン人との溝を深くしてしまった事は悲しい事実である。
タイにある難民キャンプを訪ねて②-9カ所の難民キャンプ に続く。